a-3 susanoo

須佐之男神は伊邪那岐神の三貴子の一人で、最初海を管理していましたが(このことからギリシャ神話のポセイドン、ローマ神話のネプチューンに擬する人もいます)、母神伊邪那美神のいる根国に行きたいといってそこを去り、姉である天照大神にあいさつするといって高天原(たかまがはら)に行きました。しかしそこで天岩戸事件を起こして、高天原から追放されることになります。 この時須左之男命が食べ物を乞いますと、大気都姫神が鼻と口と尻から食べ物を出して与えました。これを見た須左之男命は、どこから食べ物を出すんだ!と怒り、大気都姫神を殺してしまいます。すると大気都姫神の死体の頭からは蚕が、目には稲が、耳には粟が、鼻には小豆が、陰部には麦が、尻には大豆が出来ました。これを神産巣日神が取って種にしまして、これが五穀の起源であるとされています。(この五穀の起源のエピソードは日本書紀では月読命のしたことになっています) 須左之男命という神の性格はなかなか複雑です。最初めそめそと泣いていたかと思うと高天原では散々乱暴を働き、そしてこれから語る八俣の大蛇(やまたのおろち)の段では非常にかっこいい須左之男命の姿を見ることができます。そして後で出てくる大国主命に試練を与える所ではグレートファザーといった感じになっています。 さて、高天原を追放され地上に降りて来た須左之男命は出雲の国の鳥髪という所まで来ます。その時、川に箸が流れて来たので、須左之男命は、キャバクラ 求人上流に人が住んでいることにと気付き、行ってみることにしました。 (この箸は現在のように2本に分かれた箸ではなくピンセット型のものです。今でも一部の神社で神事に使用しています。現在の形の箸が日本に入ってきたのは飛鳥時代です。) さて、須左之男命が川の上流に行ってみますと、そこには年老いた夫婦と娘が一人いて、三人して泣いていました。須左之男命が何故泣いているのかと尋ねると男が事情を話します。私たちにはもともと娘が8人いたのですが、毎年今頃になると大蛇(おろち)がやってきては、娘を一人ずつ食って行くのです。今年はとうとうこの娘の番かと思って泣いております、と。 須左之男命が、その大蛇というのは、どんなものか? と尋ねると、頭が8つ、尾が8つで体にはたくさん木がはえていて、長さは8つの谷、8つの峰にわたっていますといいます。 ここで須左之男命は「自分は天照大神の弟である」と身分を明かし、櫛名田姫(くしなだひめ)という名のその娘を自分の妻にくれと申し入れ、その大蛇は自分が退治してやろうと言うのです。夫婦は恐縮して、その申し出を承知しました。すると須左之男命は櫛名田姫を櫛の形に変えて自分の髪にさした上で、夫婦に命じて八塩折酒(8度醸造した酒)を作らせます。そして垣をめぐらして、8つの門にそれぞれ8つの桟敷を作り、その桟敷毎に酒樽を置かせました。 そしてやがて八俣の大蛇が現れますが、大蛇は酒の匂いにつられ、8つの門に自分の8つの首をさしいれ、それぞれの首が中の8つの桟敷を順にめぐって酒樽の中の八塩折酒を飲み、とうとう酔いつぶれてねむってしまいます。すると須左之男命はすかさず自分の剣を抜いて、大蛇をずたずたに切りきざんでしまったのです。 この時、大蛇の中ほどの尾を切ったときに刀の歯がこぼれたので不思議に思って切り開いてみると、中から素晴らしい太刀が現れました。須左之男命は後にこの太刀を天照大神に献上しました。これがやがてヤマトタケルに伝わることになる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。この剣の名前は八俣の大蛇の上にいつも雲がかかっていたためとされます。後にヤマトタケルはこの剣で草を切って火事が迫ってくるのを防いだことから、その後、この剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。現在この剣は名古屋の熱田神宮に祀られており、皇室の三種の神器のひとつとなっています。 (三種の神器の内、鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮にあって、いづれも分霊が皇居に祀られています。本体が祀られているのは勾玉のみです。) なお、この時、須左之男命が八俣大蛇を切った剣は蛇麁正(おろちのあらまさ)或は天蝿折剣(あめのははきりのつるぎ)と呼ばれ、後に物部一族の石上神宮に伝わることになります。 こうして八俣の大蛇を倒した須左之男命は櫛名田姫と一緒に暮らす新居にふさわしい場所を求め、家を建てて「私はすがすがしい気分だ」と言いましたので、その地を須賀といいます。ここで二人は幸せな日々を送ることになるのですがその時盛んに雲が立ち上るのを見て、須左之男命は次のような歌を歌いました。   八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を 古事記にはたくさんの歌が出てきますが、一番最初に出てくる歌がこれです。これにより須左之男命は和歌の元祖とみなされることがあります。 また日本書紀によれば須左之男命は人々の為に船を作ったとされます。この時一書ではひげを抜いて植えると杉の木が生え、胸毛を抜いて植えると檜が生え、尻の毛を抜いて植えると槙の木が生え、眉毛を抜いて植えると樟の木が生えました。そして「船を作る時は杉や樟がよい。檜は宮を作るのによい。槙は寝棺を作るのによい。これらの木をたくさん植えるように」と言われたとします。 また一書では須左之男が最初高天原から降りて来た地は新羅の国の都でしたが、その地があまり気に入らなかったため、船を作って日本に渡って来たとします。また一書では、須左之男命が草薙剣を天照大神に献上するのに子供の五十猛命を遣わした時、五十猛命が沢山の木の種をもらって来たのですが、五十猛命は朝鮮にはその種を蒔かずに、九州に上陸してから蒔き始め、日本全体を木でいっぱいにしたのだと言います。これらの伝承で須左之男命を朝鮮と関連付けて考える人もありますが面白い話だと思います。元々天孫族は渡来系であるとされますので、その辺りの関わりが感じられるようにも思います。 それからこの物語の中には見て分かる通り、やたらと「8」という数字が出てきます。元々の伝承に含まれていたものもあるとは思いますが、古事記の作者がわざと繰返しをやっているとも思えます。半ば国家事業として作られた本の中にこういった遊び心が入っているというのも考えてみれば不思議です。梅原猛氏は古事記の作者を藤原不比等と推定し、最初の読者である元明天皇に捧げた書であるとしていますが、そう考えるとこのような遊びも藤原不比等と元明帝の間柄なら十分許されることであったかも知れません。